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タイトルの「フィンツィ・コンティーニ家の庭」はバッサーニの小説から採った。

1930年代から1940年代のイタリアはフェルラーラが舞台のこの小説は、
作者とその憧れの女性ミコルの思い出を綴った作品である。

作者の試みはミコルとの思い出の永遠化にあり、それは成功したと言える。
さぞ多くの人がこの小説を読んで感動したであろう。

そして私もそのひとりだ。特に突然終わる物語が、ミコルがのちに直面する悲劇を想起させ、
読む者を深い悲しみに沈ませる。

だが同時に突然の喪失は、時に陽光の日々をよりいっそう輝かせる効果をもたらす。

彼らの過ごしたフィンツィ・コンティーニ家の庭は、
まさに青春の森と呼ぶにふさわしいひとつの世界であった。

ジョルジオもミコルもそんな青春の森を、生命の息吹を身体中に感じながら、
同時に心の隅から追い出せないある種の虚無感を抱えながら歩いていったのだろう。

ジョルジオがフランスから戻る列車の中で、ミコル宛に書いた手紙にこんな一節があった。

『すべてを喪うことは、何も喪わないことでもある』

スタンダールからの引用というこの言葉こそ、彼らの悲しい青春を暗示しているのではないか。

ジョルジオはミコルを、青春のすべてとも言うべき彼女を喪った。
そしてミコルも家族と生命、すべてを喪った。

だが私たちの目の前には、その喪われたはずの世界が燦然と輝いている。


彼らの過ごした森に比べれば、現在私が生きている世界は、矮小で取るに足らぬ林のようなもの。

それでも日々の生活を送る中で、目に止まった美しいもの、
心に止まる小さな何かをとどめておきたい。

そんな気持ちからこのブログを作ることにした。

タイトル文字のKontiniは原作に敬意を表して、CをKに代えた。
もうひとつ。かつてFinzyの名で歌ったクララ・モローニに敬意を表し、末尾のyをiに代えた。
そして私の名前のGは、Giorgioの頭文字から拝借した。


作者のバッサーニはおよそ10年前に亡くなった。

私は人が死んだのち、彼方に別の世界があるという話を信じないけれど、
もしもそれがあるのだとしたら、彼の地でジョルジオとミコルが再会できることを祈りたい。


2008.03.04 Galton